amazon primeで映画鑑賞:エブリ デイ

2018-10-04amazon primeで鑑賞

この間観たふたつの映画が現実感たっぷりすぎて重苦しい気分になってしまったので、呑気に観られるかなと思いチョイス。時間も97分だし、お手頃…と思ったのはちょっと間違いでした。

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毎日別な人間として目覚める

<あらすじ> ”それ”の一日は、自分の姿を確認することから始まる。毎朝別の名前で呼ばれ、その名前を持つ人物の日常を、その人として生きる。できるだけその人の人生が変わらないように気をつけてーーー。”それ”はたぶん16歳。毎日違う同じ年頃の人間の意識の中で目覚める、肉体を持たない…けれどたしかに存在する人格。

かっこいい男の子と可愛い女の子のちょっと不思議な映画なのかな〜と想像して見始めました。

amazonにあったあらすじで設定はなんとなくはわかっていたけど、説明文の固有名詞(”A”)にピンときてないので、最初はすごく謎めいていました。でも、最初の男の子・ジャスティンの音楽好きでほがらかなところや、そのガールフレンドのリアノンを気遣ったり、彼女の誰にも言えない悩みを聞こうとするとにかく優しい感じが素敵で、すぐ映画の中にはいりこめました。

でも、完璧に楽しく思いやりにあふれた一日の別れ際に、笑って「また明日ね」とリアノンが言うと、シリアスな様子のジャスティンは答えず、「どうしたの?」と聞くと、こう答えます。「明日は今日と違う」 ジャスティンから目をそらしたリアノンは「分かってる。だけど今日も楽しい思い出になる」と言うのです。

字幕版を見たんですけど、ここの意味がよくわからなくて、でもなんか気になるシーンだなと思いました。英語ではこう言ってるように聞こえました(ちがったらすみません)。"you know every day won’t be like this, right?:毎日がこんな風じゃないよな" "i know but it helps you remember you like spending your time with me.:そうだけど、私と一緒にいて楽しいって思い出せるでしょ"。なるほど。。だから「明日は明日、今日はいい気分で終わりたい」という締めだったんですね。。

リアノンとジャスティンはあまりうまくいっていません。朝の時間に確認したメッセージの様子(余談ですがこの映画におけるアイフォンの重要度すごい! 物語のカナメのひとつです)でそれとなくわかりますし、食堂でのともだちの言葉、”優しいジャスティン”にすこしとまどっているみたいな彼女の様子からもそれがうかがえます。そしてこの車中のやりとりはそれをダメ押しするものでした。つまりふだんはリアノンと一緒にいても楽しそうじゃない、ということなのでしょう。。

翌日、学校の駐車場で見かけたジャスティンは、車にもたれかかってだるそうにしていて、昨日の様子とはまるで違っています。

そんな彼に声もかけられず戸惑うリアノンですが、自分は転校生だから校内を案内してほしいと声をかけてきた少女がいてーーー。

実はこれ、中身は昨日ジャスティンだった”それ”なのです。毎日別な人間の肉体の中で目覚める不思議な存在は、ジャスティンとして目覚めた時に出会ったリアノンに恋をしてしまったのでした。

その後も”それ”は日々別の人間になってリアノンに会いにきます。でも、ネイサンという神学校の少年で会いに行った時、ジャスティンとトラブルを起こし、さらに”それ”のとった行動が彼の記憶の中に少し残ってしまったために、悪魔に取り憑かれた少年としてニュースになってしまいました。直後、リアノンの元にネイサンを名乗る人物からメールが届き、会いに行ってみると、待ち合わせ場所には見たこともない黒髪の少女がいて、自分の秘密を語り始めます。

水族館の日のジャスティン、転校生のエイミー、そしてネイサンは自分だった、と。

さすらう存在

日々宿り先を変わりながら、辛抱強くリアノンに説明をして分かってもらおうとする”それ”は、彼女に聞かれて自分の名前は”A(エイ)”だと答えます。

そのときはジェームズという少年だったのですが、ここでのやりとりも印象に残っています。この秘密を話したのはリアノンにだけだと明かし、それはさみしいしかなしいと言われてからのやりとりはいろいろなことを考えさせてくれます。

だけど、とても不思議な存在ですよね。いったいどうやって誕生したんでしょうか。。映画の中では、親はわからないし、名前も自分でつけたと言います。生まれた時からそういう存在だったんでしょうか。

図書館で、Aの生い立ちを聞くことができます。

自分のちいさいころのことを、どのくらい覚えていますか? しっかりした記憶ということなら、私は2歳くらいからあります。Aが自分が他の人と違うとわかったのは6歳くらいだったと言うのを聞いて、すごく納得しました。自分自身が、そのくらいまでは、社会(他の存在)をはっきり認識できなかったからです。もちろん家族や友達はわかっていましたが、自分が世界の中心で、自分と違う法則で動く他者があるという風には考えないというか、、、Aが言うみたいに、他の人が自分と違うなんて考えつかないというか。

毎日違う体で目覚める、名前が毎日違う、それが自然なことだとして生きてきたなら、ほかのみんなは毎日同じ体に居続けている、それがわかったときの衝撃はどんなだったでしょう。考えてみましたが、とても想像がつきません。

Aは入った人の人格に混ざることはなく、記憶も独自のものを持っていますが、ゆっくりとその体の持ち主の性格や記憶にもアクセスできるようになるという。たとえば、前段で"you know everyday won’t be like this, right?:毎日がこんな風じゃないよな"と言ったのは、Aにとって朝にはぼんやりしていたジャスティンの性格やリアノンへの日々の態度が、別れ際にはきちんとわかっていたからだと解釈することもできます。

そんなふうにして、Aはたくさんの人の中に居たことがあり、貧しさも豊かさもさげすみも優しさも、あらゆる環境、あらゆる感情を体験したことでしょう。その考え方になり、その習慣をおこない、その環境の素晴らしさやつらさも体感する。

たしかにそれは一日限りです。でも、それでもそれを16年×365通り経験して、最終的にああいう人格になるということを思うと、さまざまな人の立場に立ち…というかそのものになって世界を見、考え感じることは、人間(あるいは心)にとってやはり重要なことなのかもしれないと思いました。Aの慈悲深いまなざしや明るさ、聡明さ、さまざまな人の良さを認め、あるがままを受け入れる様子は、神様か仏様のような感じで、理想的な人格だと思えます。Aのあり方は、輪廻転生を繰り返すのに等しいような気がしてくるのです。

でも、というより、たぶんだから、Aはこれまでほんとうにさみしいとか思ったことはなかったかも、とも思いました。全ての人をありのままに愛するってそういうことなんじゃないかと思うから。特定の人に干渉せず、しかも愛するということは。

でも、リアノンに会った時にはじめて感じた感情をなくしたくない。だから彼女を追いかける、とAは言います。はじめての感情、それはたぶんリアノンだけが他とは違う特別な存在で、自分のそばにいてほしい、他ならぬ自分が彼女を笑わせたい、という願い。

簡単に言えば恋をしたということなんでしょうけど、そういう願いは『そうでない現状』を意味しますし、その願いが強ければ強いほどむさぼりの心が力を増すものです。むさぼりの心の燃料は不足感やさみしさではないでしょうか。。跡を残さないようにして、無邪気にあるいは老成しているようにしてさすらってきたAが、はじめて覚えたエゴ、強烈な感情、そして新鮮な『自分自身』のかけらだったのかもしれません。

Aを演じる俳優たち

ストーリーではない部分のこの映画の見所は、肉体を日替わりで移っていくAという存在を演じた俳優たちです。

一度、リアノンが名乗っていないAを見つけてしまうエピソードがあるのですが、それが無理なく納得できてしまう説得力のある演技です。どの役者さんも全く知りませんでしたが、誰の中にもAを見ることができ、Aの個性があると感じられて、リアノンがそう感じているように、いろんな肉体を透かしてAの顔を見ているような、不思議な感覚に陥りました。

また、そのうち何人かには本来のその人としてリアノンが接する機会がありますが、たとえばジャスティンやネイサンはまったく別の個性であることがとてもうまく表現されていました。

この映画を見た一部の意見として、リアノンがいろいろな少年や少女と接触することに抵抗感があるようですが、私としては、俳優たちの演技にも助けられ、リアノンの気持ちの中ではつねにAだからしていることだと受け止められるので、そこまで否定的ではありません。ただそれがどの程度のことまでなのかがはっきりと描かれないので、ことによっては、ん〜〜…、と思わなくもないですが。。(*1)

みんな個性的でありながら高次の存在のようなAも滲むので、それぞれとても魅力的なのですが、私が「特に好きなA」は、ネイサン(踊る彼のキュートなこと!)とジェームズ(ビリケンみたいで逆に叡智の塊感があり、悟っているためにかわいそうにも見える)、ジョージ(愛情を感じる)、アレグザンダー(まさに理想・すべてがAと同じかそれ以上に魅力的)です。ジャスティンも好きですが、その後の彼本来としての行動があまり好きじゃないので、結果的に評価が落ちてしまいます💦 演じ分けている俳優さんのことはすごいなーと思ってファンになりましたが。…あっ、でも別れた後にリアノンを悪く言う友達にマジギレしてたのを見て、ほんとはいいやつだなと思いました。

#make_marks #leave_tr

体を変わり続けるAとリアノンは惹かれ合い、Aは体を移りながらリアノンに会いに来続けてくれます。でもその体に恋人がいる場合もあって、思うように二人でいられません。

そんなとき、Aは同じ学校に通う友人のアレグザンダーの体に宿ります。転校生のエイミーとして学校に来た時に、最終的に案内役をしてくれた密かにリアノンを想っている男の子です。もともとつきあいもあったし、アレグザンダーには彼女もいないので、いままでになくいっしょにいられる。それが嬉しくて、リアノンはついわがままを言ってしまいます。ケルシーを救うために体に居残った時のように、彼の体に居残ってほしい、と。

もうここから怖い予感しかしないですよね。。。

結局どうなるかは、ぜひ映画を観てください。

ただ、眠る前と映画の最後のアレグザンダーのセリフ「笑顔がステキだね(has anyone ever told you have a nice smile?:誰かにいい笑顔ですねって言われたことあるんじゃない?)」と、ラストシーンのインスタに、すぐハートマークがつくのを見て、大号泣しました…! これまでにでてきた印象的なあれこれを効果的にタップリと盛り込んで、全力でかかってこられた感じです。。

エーーーーッのんきなYAラブストーリーだと思ってたのにぃ…。

でも、すごくすごくこの終わり方が好きです。観て良かったです。音楽もストーリーにすごく合ってる(The TheのThis Is The Dayとか)ので、気になったら調べてみてください。

 

*1 この点が気になったので、英語のレビューも読みましたが、そこにあったコメントでこの問題が取り上げられていました。誰かに体を乗っ取られて好きにされるのはホラー映画並みに怖い、と。うーーん、たしかに。憑依されてる間に人に見られてたらと思うと身に覚えもないしほんと怖い。ただ、リアノンの印象のためにさらに続けますと、この物語はDavid Levithanの2012年の小説「エブリ デイ」が元になってるらしいのですが、小説の中には映画に描かれていない色々なディテールも描写されており、読めばはっきりすると。。いろいろ書いてありましたが、つまり、Aである彼や彼女とは深い仲にはならなかったらしいです。
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昔から密かに気になっていたことを、Aは実際に見られるんだなって羨ましくもなりました。それは、「同じ青でも人の数だけ異なる見方ができる」ということ。これはたぶん暗喩としての言葉でしょうけど、文字通りの色彩の見え方の個人差も、『自然に』体感できるんだなと思ったのです。…たぶん、加齢によってゆっくりと見え方が変わったりすることもあるんでしょうけど、Aみたいだったら、違いをはっきりわかるんじゃないでしょうか。虹彩によって見える色が違うかどうか、昔からすごく気になってるんですよね。。失礼だから聞いたことはないんですけど。

 

エブリ デイ Every Day 2018年

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ラストのネタバレ注意(読みたい場合は反転させて読んでください)

この物語はメリーランド州のオクタビアンが舞台です。メリーランドはワシントンD.C.に隣接しています。Aは最後のデートで、人がいっぱいいるNYとかの都会に行きたいと言っていました。
アレグザンダーの体を離れ、目を覚ますと今度はお金持ちの女の子になっていたAは、ママの呼びかけも無視してすぐに彼女のベンツ(カブリオレですよ…まったくアメリカのお金持ちってやつは!w)でどこかへ出発します。車がなかったこともあった(ジェームズ)し、遠くへ行くことすら困難な体だったこともあるので、すぐに都会に行きたかったんだろうな、と思います。彼女はNYで目覚めたとしてもそんなに困らなそうですしね。。お金はあるからちゃんとしたホテルに泊まれば問題は…それほどは…ないかもしれない…。ところでAは体の持ち主に翌日困ったことがないようにするといいつつ、けっこう学校サボりはよくやりますねw アメリカの高校の罰則は日本より厳しそうな印象があるんですけど、でも逆に学校に行くことで別な問題が出るかもなので、ケースバイケースなのかな。
最後のシーンのインスタグラムは、確かにAが存在しているという証です。行きたいと言っていたNY。セントラル・パークにいるという印をつけ(make marks)、足跡を残した(leave trace)のです。約束したリアノンのために。ハートをつけたのはもちろんリアノンです。ふたりはいっしょにいることはできない運命ですが、存在を感じることはできる。Aが望むように、より深く『自分』を育めたらいいなと思います。
ただひとつの救いは、Aもやがてどの肉体からも自由になるだろうということ。エイジングの自覚があり、自分と同じ年の人間にしかうつれないなら、いつかはそうなりますよね。。ただそれがどういうふうな終焉になるのかはわかりません。願わくは、思念体としてこの世をさまようのではなく、天国でもどこでもいいから、肉を離れた人間が行く場所に行けますように。。