名前と偏見*ソマリと森の神様5巻

2018-09-19

暮石ヤコ・著『ソマリと森の神様』5巻 徳間書店

<あらすじ> いろいろな種族の人外たちが社会を作って生活している世界。個性豊かな街から街へと、ソマリとおとうさんは旅をしている。いまとなってはほとんどいなくなった”人間”を探して。

1〜4巻までの感想はこちらです。

おとうさん*ソマリと森の神様

この最新巻では、ソマリとおとうさんの出会いが描かれています。

名前

出会ったばかりの頃のソマリのちいささには胸が痛くなります。こんなにちいさいのに、首と手首に枷(かせ)をつけられて、そまつな汚れた白い服を着て。

商人の馬車から投げ出されたソマリは、その森の守護者だったゴーレムを一目見るなり「おとうさん」と笑いかけるのですが、彼がソマリに質問しても、外は危ないと言われていたこと、でもそれを言ったのは誰かわからない(おぼえていない?)こと、どこにいたのかわからないこと、なにより、自分の名前もわからないことが判明しただけでした。

表情からは、ソマリがかくしているという印象はありません。でも、だとしたらこれはどういうことでしょう。もしかくれて暮らしていたのなら、おさない彼女が自分の住んでいた場所をわからないのは当たり前かもしれません。でも、名前を聞かれてわからないという。それが嘘でないなら、名前を呼ばれたことがないということになります。

名前を呼ばずにすごしても不便のない暮らし、とは。

もしかしたら、「外は危ない」と言っていた存在と、彼女のふたりだけの暮らしなら名前はなくてもいいのでしょうか。…でも、それもなにかと面倒な気がします。

それと、ソマリはなぜ第一声で「おとうさん」と言ったのでしょうか。おとうさんは推測していることがあるみたいですが、語りません。

おとうさんがどんな推察をしているかわからないけれど、たとえば”ゴーレム”をおとうさんと呼ぶ環境にいた、というのはありえるでしょうか?

ゴーレムはとても珍しい存在で、ほとんどは森の守護者として生きると言います。でももしソマリがもともとゴーレムと暮らしていたとしたら、森の食べ物そのものか、生の状態のそれが食べ物だとわからなかったところを見ると、森にいたわけではないということになると思います。でも町などにいたとすると、目立ちすぎますし。。

ゴーレムだらけの街は存在するんでしょうか。

けれどももしそんな『社会』にいたなら、やはり名前がないのは不自然なことになるかもしれません。社会の中では、他と区別するために名前は必ず必要になってくると思うからです。

逆にいうと、ひとりだけで生きるなら、名前は必要ない。

多分おとうさんに”ゴーレム”以外の名前がないのも、そのせいもあるでしょう。おそらく、森の守護者として生きる多くのゴーレムにも個人としての名前はないかもしれません。森には守護者が一人で住んで言葉を交わす相手はいないようだし、希少な存在であるゴーレムは”ゴーレム”という呼称だけで、森の近くの住人(社会)にはそれが『彼』だとわかるでしょうから。

また、ゴーレムには感情がないらしいことがところどころで語られています。感情がないとは、自我がないということ。自我がないなら、アイデンティティ(自己同一性)も必要ないでしょうから、名前は必要ないということなのかもしれません。

4巻の最後のおとうさんのセリフも、そういうことを踏まえているように思います。

いろいろあって、結局、旅に出る前におとうさんがソマリという名前をつけてくれるのですが。。

出会いのエピソードを知ることはできましたが、ますます謎が深まりました。

人間と、人外

ここまでに度々出てきていた重いテーマが、今回ついに直接ソマリをまきこんで展開されていきます。

人間と人外の歴史、特に戦争になったいきさつとその後の憎み合いを見るとき、何とも言えない苦いものが胸に広がります。まちがっている、と思います。

でも…。

前の感想にも書きましたが、このことがまちがいであることはわかっても、それを自分に引き寄せて考えるときには、感情が正しさや理性をこえてしまうことがあるのを知っているから、どうしたらいいのかわからなくなってしまうのです。

この物語は人間の側から見た世界を描いているけれど、主人公たちははじめのうち歴史も知らず、人外に対して敵意もなく、ただ隠れて行動しなければならないという現実を受け入れているにすぎない。だから、どこをどうすればいいのか知らないし、どうしようということもなかったのでしょう。ただ、人間がいるところまで旅ができれば、と思っているだけかもしれません。

一方人外たちには、人間は美味しい(から高く売れる)という欲や、過去の人外への仕打ちの記憶によって、人間に対しては残酷であっても構わないという意識があるようです。戦争にあっさり勝ったこともあって軽く見ているし、恐れや妄想に駆られて攻撃してきた(くる)弱さを許すことなどできないでしょう。過去にされたことをやり返すし、今後はやられる前にやる、という気持ちかもしれません。

無理解と恐れから、もつれてからまってしまったこの構図。これを正せると思えたら、どんなに素敵なことでしょう。この物語に対してではなく、自分の心の中のこういうもつれを「正せる」なら。

正すには許すしかないと知っています。でもそれはすごくむずかしいこと。。

それは外から見たらこんなに愚かで醜いことなのだと見せられているから、でもそうできない心が理解できるから、この対立は、苦く胸に刺さるのです。

人間と人外のどちらの気持ちもわかるから、途方に暮れてしまうのです。

ローズおばさんのモノローグがくるしい。可愛く笑いかけられて、寝ているところに毛布をかけたりもしたのに、「関係ない」って、売ってしまえる、そしてどんどん残酷な仕打ちができるおばさんが怖い。この気持ちは実感として理解したくないけど、こんなふうになってしまったおばさんの胸の内が語られることはあるのでしょうか。。

旅の途中でふたりはいろいろな出会いを経験しますが、最後はどんな世界を見ることになるでしょう。。希望があれば、そして綺麗事ではない答えが、なにか見つかればいいなと期待しています。

ゴーレム

ゴーレムという存在は、すごく不思議だと思います。もともとはユダヤ教からきていて、色々とアレンジされながらゲームや物語に登場する自立できる人形。

この物語の中のゴーレムは、黒い鋼の肉でできた大きな体でピッタリ1000年生きる、森の守り人です。知的ですが基本的に感情はなく、体を管理するシステムのようなものが備わっているようです。食事の必要はなく酸素と日光と水で動き、痛覚もない。。無機物に近いのではないでしょうか。

ただ、この世界の分別の仕方だと人外に含まれるのでしょう。

いまのところ物語の中に出てくるゴーレムは、おとうさんと、人間を守る”ハライソ”(2巻に登場)だけです。

かなり昔に存在したハライソはおとうさんとも違ったいわば亜種のような存在です。寿命は100年、人間を守る本能があり、魔女が出会ったときにはあと5年強の命で、頭から足の先まで鋼がむき出しの体でした。

この世界のゴーレムにも、『創造主』はいるのでしょうか。…いないとおかしいとは思うのですが、いるとしたら、それはいったい誰なのでしょうか。

ゴーレムの存在の秘密が語られるときがくるといいなと思います。だって、すごく知りたいことがあるのです。

それは…

 そのひと(?)は、おとうさんの寿命を延ばすことは、できないのでしょうか…?

ということ。せめてソマリの寿命くらい。。

 

物語の最後、衝撃的でした。こうなってしまったおとうさんは、命を縮めてしまったんじゃないでしょうか。。web連載ですが、本になるまで読まない主義なので、(というかある程度まとまってないと心臓に悪い!)、ソマリの無事を祈りながら、また次の巻を待っていようと思います。