映画『プリデスティネーション』≫前情報なしに見て欲しい!

プリデスティネーション 洋画

プリデスティネーション 2018年 アメリカ映画

監督 マイケル・スピエリッグ、ピーター・スピエリッグ
出演 イーサン・ホーク、サラ・スヌーク、ノア・テイラー

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プリデスティネーション

プリデスティネーション あらすじ

プリデスティネーション

<あらすじ>
ジョンは、バーテンダーに自らの身の上を語る。同情したバーテンダーは彼に復讐のチャンスを与えると提案。2人で7年前へとタイムスリップする。バーテンダーは未来から来た時空警察官だったのだ。彼は連続爆弾魔ボマーの犯行阻止を最後とし、自分の後釜にジョンを据えようとしていた。

Amazon 作品紹介文より

『プリデスティネーション』感想

プリデスティネーション

この映画は伏線に次ぐ伏線で出来上がっており、ちょっとしたセリフにも軽口以上の意味があったことがラスト付近にわかるなど、仕掛けが多い印象です。

ただ、そういう場合にたまにある「イライラさせるほのめかし」や「盛り上げるための本筋から逸脱した冗長さ」、「無意味なキャラやシーン」はまったくありません。(すみませんw)

作品自体が97分というコンパクトさなのもあるかもしれませんが、なんといっても脚本、俳優の演技、演出・・・全てが、観客を「謎」にばかりこだわらせないから、ずっと「今起こっていること」に集中して観続けることができます。

この映画は、あるセリフから始まります。
誰が誰にいつ言ったものか、わかりません。
そして主人公は大怪我。

その後、医者がさりげなく言ったセリフが頭に残っていたので、「もしかして?」と見当をつけながら観ていたものの、その後の展開にはかなり驚かされました。
私が決して想像しない内容だったからです。

映画自体に関しては、これ以上は語れません。ネタバレしてしまうと、この映画の楽しみは、他の映画でネタバレされるよりもかなり多く損なわれると思うからです。

謎があっても、それを脇に置いて、今展開されている物語に引き込まれて、夢中になれるタイムリープ映画です。
観賞後にもう一度最初から観たいと思えるのも、この映画の魅力です。

どの順番でどこにどう手を入れたか、もう一度ちゃんと確認したくてたまらなくなります。

 

原作はロバート・A・ハインラインの短編だったようです。最後に知って、なるほど・・・!と思いました。
毎年夏に読み返す『夏への扉』の著者です。

猫好き、SF好き、張り巡らされた伏線好き、大どんでん返しで超スッキリが好き、そんな方におすすめの、いつまでも古くならないキラキラした物語です。

『プリデスティネーション』ネタバレ含む感想

プリデスティネーション

さて。

ここからは、鑑賞したことがある方だけ読んでくださいね。
ネタバレではないにせよ、映画の鑑賞にバイアスを与える可能性があります。
この映画はできるだけ前情報なしに見た方がおもしろいです。(なので、Amazonのレビューも見ない方がいいです!)

ひとつだけ懸念点としては、倫理観がとっても強い方は、気分良く観られないかもしれない部分があります。

孤独

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私がこの映画で最初に一番感じたのは、『孤独』でした。
愛を否定しながらも、本当は頭から離れないそれをどうやって満たしたか・・・。この映画で描かれているやり方(宿命とも言っていいかも)は、あまりにも孤独だと思ったからです。

自分を誰かに受け入れてもらえる、相手が自分を愛してくれていると確信を持って思うことができる、しかもそれが幻想ではないと「知っている」。
ただ「なぞる」だけで、確かな愛を受け取ることができるーーー。
これを、「彼」は「選んだ」のでしょうか。
「わざと」やったのでしょうか。

・・・そうじゃないですよね。

ちゃんと「彼女」に恋をした結果なのです。

それはどんな気持ちなんだろう・・・と思います。
「彼女」の気持ちはわかります。
突然現れたハンサムな男の人に、最初の会話から通じ合うものを感じて。彼は誰も触れることのなかったところまで踏み込んできて、それは乱暴ではありましたが、誰にも打ち明けなかった心の中を初めて共有することができたのです。

そりゃあ好きになるでしょう。

宿命

プリデスティネーション

でも、「彼」は?
ことの成り行きを誰よりも「知っている」のに、実行してしまう「彼」は。

ここがこの映画の一つの肝で、実は全体にも言えるのですが、「宿命」は最初から存在していて、それを演じるコマに選択肢は存在しない、ということを描いているように思います。

「彼」が「彼女」を愛してしまうのは、「宿命」だった。

そこに至るまでに置かれていた環境、積み重ねた経験、選択の全てが、そうするしかないような情熱に「彼」を駆り立てたのです。

生まれた時から何とも繋がらず、内面に歪みを感じつつ、出来がいいために高慢で攻撃的な性格。人から嫌われやすいことを自覚し自分を嫌っているが、なおす気がなく(そう見える)、その手立てもない。
愛が欲しいけど、「他者」と理解し合うのは色々な意味で困難だとわかっていたでしょう。

「これ」が唯一の希望のように思えたかもしれません。「彼」が経験してきたことの中で、「あの時に戻りたい」と思えるたったひとつのエピソードだったかもしれません。

考えてみると、「主人公」が「彼」の話を聞き出すのがうまかった理由が、「彼」が「彼女」の心を掴んだ理由に等しかったことも、やるせないものを感じます。

つまり「彼ら」が心を開ける存在は、いつも、たったひとつなのだという事実が描かれているからです。

プリデスティネーション

また一方で、私がこのことを宿命だと感じるのは、彼らにこどもができたことも大きいです。
もしそれが許されないことなら、宿命でないなら、できないと信じるからです。(この点は私の神観によるもの)

でも、ここでまた再び、「卵が先か、鶏が先か」とウロボロスの蛇のようにこんがらかってくるのですが。。。

しかしこのことをつきつめて考えているうちに、これは果たして「彼ら」だけの現象なのか・・・と思えてきてしまいました。
ただ、これはデリケートな事項に関する個人的なものの考え方から来るものなので、また別の機会に書くことにします。

「彼ら」の愛について。
SFでお決まりのタイムパラドックスという概念について。

見た人はどんな感想を持ったのか、すごく気になる映画でした。

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