とうらぶ:秘宝の里〜花集めの段〜村雲江お迎え

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刀剣乱舞 村雲江 とうらぶ

刀剣乱舞のイベント「秘宝の里 〜花集めの段」にて、江派にまたまた新しい男士が加わりました
村雲江(むらくもごう)は、年末に登場した五月雨江と対になるルックスの男士。

野分の代弁者
こんにちは、野分です。

またまた好みの男士が来てしまい、今度は前回逃した五月雨くんも迎えねば とがんばりました(●´◒`●)
江は全員報酬に入っていたので、他ではなかなか入手できないだけに、今回は最初からフルスロットルでやりましたとも

初顕現時のセリフや初期能力値など、ネタバレを含みますのでご注意ください

秘宝の里 〜花集めの段〜

花集めの段は、今回初めて搭載されたゲームの仕組みです。
里で進撃して花札を集めます。

まあ、こうしてつらつらと説明があったのですが、やってみたら簡単でした(●´◒`●)
花札を知らなくても大丈夫だし、もちろん役とかも考えなくてOK
ゲームの中でサジェストされるので、好きな札を選んで取っていく感じでした。

その札を選んだらどの手ができるか、画面の下に表示されていました。
今までの玉集めよりもゲーム性があって面白かったと思います。
・・・かといって、難しいテクニックや攻略法はいらないのもとうらぶ
まあまあ作業感はありますが、自分で選んでる感があってよかったです。
『あがり』と『こいこい』だけ間違わないようにすればいい感じ。
_人人人人人人_
> あとは運 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄
です(●´◒`●)

時々、トリッキーな札が出たりもして、それも楽しい・・・

それと、たまに楽器がもらえるので、新しい近侍曲も入手できるかもなイベントでした
今回は新たに亀甲さんと毛利くんの近侍曲が追加されました。これで62振り分の曲が聴けるようになったそうです。

花集めの段の報酬の目玉は、なんと言っても新刀剣男士の『村雲江(むらくもごう)』
個人的に前回お迎えし損ねた五月雨江くんもいたし、江派はみんなレアなので、一人でも多く集めたいと思い、今回はかなりがんばりました(●´◒`●)

できれば村雲くんも二人お迎えしたかったのですが、五月雨くんの二人目をお連れしたところまででイベントが終わりました・・・

 

村雲江(むらくもごう)

村雲江(むらくもごう)

指定:重要文化財
刀 無銘 江義弘 (名物:村雲江)
長さ:二尺二寸三分(67.56cm)
反り:七分(2.12cm)

形状は、鎬造、庵棟、中反りやや高くつき、中鋒。
鍛えは、板目流れ柾交ってつみ、地沸よくつく。
刃文は、直刃ごころに浅くのたれ、互の目交じり、小足入り、沸よくつき、砂流しかかり、匂口冴える。
彫物は、表裏に棒樋を掻流す。
帽子は、小丸、先掃かけごころあり。
茎は、大磨上、先切、鑢目勝手下り、目釘孔四。

つるぎの屋「村雲江」より

こちらのページには刀身の写真もありますので、是非ご覧ください。
目釘孔が4つあるのも珍しいのではないでしょうか。

号「村雲江」

越中国の郷義弘作との極め刀。
本阿弥光悦が江州(近江国の異称)から持ち出し、豊臣秀吉の目に入れた際に「村雲のような波紋だ」と評したことから名がついたとされる。

のちに前田家から将軍・綱吉に献上され、それをさらに柳沢吉保に下賜したという説がある。

刀剣乱舞:村雲江

村雲江 刀剣乱舞 とうらぶ 花集め 秘宝の里

刀帳番号:200番
ーー村雲江。見ての通り負け犬だよ。
正義とか悪とか、誰がなんの権利があって決めるんだろう。
……いたた、考えすぎたらお腹が痛くなってきたーー

ぽんぽん痛くなる系男士・・・ストレスに弱いのでしょうか。妙に親近感
今までいろいろと後ろ向きな男士たちがいましたが、村雲くんはまた違う感じですね。

すらっとした体躯に男子高校生感みなぎるラフな着こなし・・・
このフォルム、いつまでだって見ていられる・・・(´>///<`)

さらに、描き下ろしのイラストによりますと、この靴、底に肉球が・・・
いいの・・・ そんなこと・・・・

かつての主人は悪人、値二束三文の打刀

1952年3月29日に重要文化財に指定された名物・村雲江。
様々な主のもとを転々とし、現在は個人所有で大阪にいるそうです。(文化庁:国指定文化財等データベース

【新刀剣男士 打刀「村雲江(むらくもごう)」】
越中国の刀工、郷義弘作の打刀。景色を名に宿した名刀は華々しき来歴を辿るが、かつての主は悪役にされることが多かったり、自身は二束三文で売られることもあったり……。
負け犬の腹痛癒す五月雨(さつきあめ)

顕現時の「どうせ」つきのセリフは、過去の出来事で傷ついているからのよう・・・。

村雲江 とうらぶ 刀剣乱舞

「悪人」

「悪人」とは大老格・柳沢吉保のこと。赤穂事件(「忠臣蔵」)の裁定に意向を反映させた事実があり、時代劇などでは悪役として描かれ、世間ではそのイメージが強いようです。

けれども、儒学の発展や行政面での業績は高く評価されており、そのあたりの史実を学べば「悪人」とばかりは言えない人物でしょう。また、赤穂事件をあのように判じたことこそが、秩序を重んじる儒学への、吉保の真剣な取り組みを表しているとも言えるのではないでしょうか。

「俺はもう正義にも悪にも振り回されたくはないんだ……」

「敵が悪だって言い切れるの?」

など、正義と悪にこだわる台詞がたくさんあるのは、その辺りの相対性を問うているのでしょう。

また、

「出世をするためにはお金と……いててててて……」

という台詞も、吉保の有名な言葉とされる、「泰平の世の中で、出世をするのは、金と女を使うに限る」からきています。けれども、今回はこの出典を探すことができませんでした。
調べていくうちに、柳沢吉保が子のために書き残したという『庭訓』十五箇条のうち第十五条として、

「言葉は心の表れなれば大人たる者の慎むへき第一なり」

という言葉を遺した、というのを見て、吉保が本当に先の言葉を言ったのかは疑わしいかもしれないと個人的には感じています。
吉保へのやっかみから生まれた風評や、人気の読み物(赤穂浪士や綱吉がらみの物語は多かったことでしょう)の中の創作台詞が残ってしまったのでは・・・とも想像します。悪名高い綱吉の寵臣であり、石高も最後には300倍にまでなりましたからね。。それが書き残した通りに、口を慎み身を慎んだ結果の出世なら、あのようなことは言いそうにありません。

甲斐国主として優れた業績を残し、病弱の正室・禎子を常に労わる姿も文献資料に残っている、武田信玄に次ぐ人物として知らしめるべき、と柳沢吉保夫妻の墓所(市の指定文化財)の案内板にあるそうです。

見る場所が違えば、実直な功績を積んで華々しく出世した名君、と慕われる人物なのでしょう。

「六義園に、行きたいな」

も、吉保にちなんだ台詞です。

(六義園公式Twitter 美しい園内の様子が紹介されています)

「六義園」(りくぎえん)は吉保が自分の江戸屋敷として造営した大名庭園で、東京都文京区にあります。幕末まで柳沢家に使用され、火災・震災にも戦禍にも遭わずに面影を保ち、明治初年には三菱財閥の岩崎弥太郎が購入、整備してのちに東京市に寄贈されるなどし、現在に至っています。1953年に特別名勝に指定。
紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた和歌の六つの基調・六義(むくさ)にちなんで名付けられました。紀州和歌浦の歌枕の景色を写しとろうとした美しい庭園で、一説には『古今和歌集』に造詣の深い吉保自ら設計したと言われるとのこと。
また、記録に残るだけでも58回もの将軍・綱吉の御成があったそうです。当時としても、それだけ素晴らしい庭園だったのでしょう。

他にも儒学者を終生援助したり、綱吉亡き後は潔く隠居して家督を譲るなど、知れば知るほど教養高く、慎みのある好人物のように思えてきますね。。

・・・そう思っていたところ、近年はやはり「悪役に仕立て上げられてしまった」という解釈が多くあるようで、題名もそのままの本などが出版されていました。ただ、内容的にはいまひとつっぽくて、私が取り寄せて読みたいと思った本はこちらの2冊でしたが・・・。


 等身大の柳沢吉保を軸に、膨大な史料とフィールドワークで江戸文化を読み解く。「六義園の設計プランナーは誰か」など、興味深い章立て。


 50歳で隠居した吉保の孫・信鴻。彼が日に何十キロと歩いて物見遊山し、時に市井の人々と交流した様子を綴った『宴遊日記』を元に、その軌跡を追う。

「二束三文」

「二束三文」は廃藩置県の際、十把一絡げにして安価に売りに出されたことを言っていると思われます。江の刀とはわからずに売りに出されたが、買い入れた窪田平兵衛という人物が本阿弥家に鑑定に出し、「留帳」(備忘録)と照合してようやっと村雲江と判明した、という説が「日本刀大百科事典」にあるそうです。
その後窪田が明治20年ごろ伊藤悌治に二百五十円で売ったそう。
そこで浮かんでくる疑問。
「それを現在の貨幣価値に置き換えるといくらになるのでしょうか?」

明治20年ごろの二百五十円、現在の貨幣価値にすると…?

貨幣価値を比較する場合、消費者物価指数や実際に売られていたものの値段、各種初任給と比べるという方法があります。しかし、ちょうど明治20年ごろの貨幣価値を知ることができる情報を見つけることができませんでした。
ただ、調べたところによると、明治10年から30年の間におおよそ2倍の物価上昇があったそうです。

尼崎市立博物館によると、明治10年に最後の尼崎藩主・櫻井忠興(松平忠興)が日本赤十字社の前身・博愛社の設立時に寄付した千円の価値は、これを調べた当時の平成24年ごろなら290万ないし750万程度となるそうです。
かなりひらきがありますが、これはそれぞれ企業物価指数(企業間で取引される商品の価格の変動を表す)と消費者物価指数(商品の小売価格の変動を表す)から割り出されたもので、その差のようです。個人的には、消費者物価指数の方が庶民の感覚に近いような気もします。(米の価格の方が身近だという意味で)
とにかくこれを基にすると、一円は2,900円ないし7,500円となります。

一方、野村ホールディングスのコラムによると、単純計算では明治30年ごろの一円は現在の3,800円ほど。しかし庶民の感覚としては、一円には20,000円ほどの重みがあった、と推測されるとのこと。それを基に試算すると、明治32年に200〜250円で売られていたアメリカ製の自転車は、現在のお金で400万円相当と言えるそうです。

これらを踏まえて、明治20年ごろの貨幣価値を明治10年と明治30年のちょうど中間であったとすれば、一円はおよそ15,000円程度と推測されます。その計算でいくと、二百五十円は現在の貨幣価値ではおおよそ375万円となります。

隊長に据えると

「部隊が安くなるよ」

と言う村雲江ですが、約380万円は安いとは言えません。
しかも、それは現代の価格ではなく明治時代の価格。刀剣が美術品として評価され、またこのゲームが流行してさらに市場価値が上がっていると思われる現在では、安くとも数千万程度の値はつきそうな気がするのですが、どうでしょうか。。。

※ 過去の貨幣価値はどのような指数を基にするかで大きく異なります。特に今回の概算価格はあまりにもざっくりとした素人によるものですので、あくまで参考程度に楽しんでいただけたらと思います。
※ しっかりとお調べになりたい方は国立国会図書館の「過去の貨幣価値の調べ方」をご参照ください。

「雨さん」

そして、先に実装された「雨さん」と呼ぶ五月雨江とはひとかたならぬ縁があるらしく、それぞれの紹介文も、姿も対となっています。(ちなみに、雨さんからは「雲さん」と呼ばれています)

チラ見せでは、お揃いの特徴的な耳がすこしだけ見えていました。
ずおとばみちゃんみたいな感じなのでしょうか。
(五月雨江についてや二人の関係性についてなどは、次回記事にする予定です)

村雲江 まとめ

刀剣乱舞 村雲江 とうらぶ

ちょっと後ろ向き系男士なのかな〜という印象もありますが、正義と悪について忸怩たる思いを秘めた、芯は熱い刀なのかもしれません。戦いの時の台詞に意外な負けん気の強さも感じます。
ただ、緊張するとお腹が痛くなる体質なので、本丸でほのぼのとリラックスする瞬間も与えられたらなあ(脳内で)(●´◒`●)
見た目もかなり好きなので、雨さんとセットで大切に育てていこうと思います
そして、いつか修行に出すのが楽しみです・・・(∩ˊᵕˋ∩)・*

個人の方の所蔵なので刀身をこの目で見ることがあるかどうかわかりませんが、大切にされていることでしょうし、村雲くんが幸せなら本体に会えなくてもだいじょうぶです。

 

参考サイト様

 刀剣乱舞ONLINE(とうらぶ) Wiki* 村雲江
 日本刀買取専門店つるぎの屋 村雲江
 文化庁国指定文化財等データベース 村雲江
 フリー百科事典Wikipedia「柳沢吉保」「六義園
 Study-Z 5分でわかる「柳沢吉保」の生涯!
 株式会社大塚 霊園とお墓の話「著名人 有名人の墓 柳沢吉保夫婦のお墓(恵林寺)」
 リサーチ・ナビ国立国会図書館 過去の貨幣価値の調べ方
 日本銀行金融研究所 貨幣博物館 お金の歴史
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