『かくりよの宿飯』の感想をたまに書いている当ブログ(hicolor times)ですが。
それより前にラノベの奥深さを教えてくれたのがこの『神様の御用人』でした。
とても読みやすく、動物や食べ物が出てくる話が好きな私はすっかりはまっています。
大好きな神社や神様のことが出てくるのも楽しいですし、むかし知って感銘を受けた「貞永式目」の一文が引用されていて、それが物語全体の要となっているところも大好きな点です。
これからたまに、そして少しずつ感想を書いていこうと思いますので、よかったらおつきあいください。
浅葉なつ・著『神様の御用人』
不思議な ”語り部” の語りから始まるこの物語を読むと、もともと身近だった神様のことがますます親しいものに思えてきます。
古代から日本人が思う「神様」という存在は、他の国の(特に一神教の)神とはかなりちがうものだということはほとんどの人は知っているでしょう。
それがとてもリアルに感じられて、神社に行きたいなー、神様と話したり遊んだりしたいなーと思えてきます。
ようするに、とても身近な存在として神様を感じられるようになるんですよね。
もちろん、この本を読んで感じることはそれだけではありませんが。
<あらすじ>
わけあってフリーターをしている良彦は、その日のバイト前に大主神社にいた。そこで宮司をしている親友の孝太郎や、かつてよくお参りをしていた祖父の影響で時おり手を合わせているものの、良彦自身は特に信心深いわけではない。でもその日は、礼儀を通さなければという思いで手を合わせた。「…あの時は、勝手なお願いをしてすみませんでした…」その夕方、バイト帰りにうずくまる老人を見つけ介抱するが、亡くなった祖父の知り合いらしいその人に緑色の冊子を渡される。
狐と抹茶パフェ
宣之言書(のりとごとのしょ)。
これが老人に渡された冊子の名前だったのですが、私はこの読みをなかなかおぼえられず、出てくるたびにふりがなの付いているページまで戻っていました。。
この第一話では、良彦の身の上と親友の孝太郎、それから良彦とコンビを組むことになる黄金(こがね)という狐の姿をした方位神がどんなキャラクターなのかがさらりと描かれています。
良彦は少し前まではニートで現在はフリーター、いまだに痛む右膝のためにこの先を見通せずやりたいことも思いつかない、なおかつそんな自分に真正面から向き合うこともせずに逃げているのですが…。
非常に、ひっっじょ〜〜〜に、シンパシーを感じてしまいます。
読み始めたときは、私はまだこんな良彦のことをしょうがないやつだなーと笑えていました。
ですが、いまとなっては自分と重なる部分が多すぎて、あとで良彦がグズグズ悩んだりする部分では痛すぎて真顔です。
そんな良彦の唯一の親友・孝太郎はここではちょっとしか出てきませんが、まじめな神職でありつつ現代的にドライな感覚も持ち合わせていて、それが逆に「神様に好かれそう…」という印象です。
そしてこの物語のテイストをかなり左右している相棒の黄金ですが、登場から最高にチャーミングなんです!
えらそうだけどどこか抜けてて、それが良彦につけいる隙を与えてしまうのですが。。。
抜けてるっていうか、可愛げといい直しましょう。
最初は大それた願いを口にした黄金ですが、宣之言書(大神)が受理したのは、ずいぶんささやかな、でも良彦のようなものがいなければ叶わない願い事でした。
慌てる黄金だけど、受理されるっていうことは、これはこれで心からの願い事だったんですよね。
きっと人の子が詣でてくることもまれで、誰とも言葉を交わさない長い時間、なんども見ては焦がれていたにちがいないのです。
・・・可愛いw
不服だった黄金は、願いが叶ったあとも良彦についてきてしまいます。
人の子が一人で叶えるなんてとうてい無理な、最初口にした願いを叶えてもらうために。
最初に良彦が助けた老人は、大神だったのでしょうか。
わからないけど、大神はきっと黄金が良彦を助けるようになることはわかっていたのかもしれないな、と思います。
良彦の前に「緒が切れて」お役御免になったという人のことも気になります。
名言スランプ
私はよくこの本を読んで泣いているのですが、この2話目からそれは避けられない運命だったんですね。。
感想を書くために読み返してまた泣いてしまいました。
今回良彦と黄金は、宣之言書に現れた神様に会いにいくため、自宅から2時間以上離れた奈良県御所(ごせ)駅に向かいます。
一言主神(ひとことぬしのかみ)の、人の子を励ます言葉が出ない、という悩みを解決するために。
一言主が力を失い中学生男子のような姿をしていて、すっかり引きこもりになってゲームばかりしているのは笑えました。
日本の神話の中の神様はかなりはっちゃけているので、その性格のまま現代におきかえれば、このくらいの神様も当然いるだろうなと納得してしまいます。
引きこもり同士、ゲームきっかけで良彦と打ち解けていきました。。
言葉に力があった神だからこそ、人の子を励ます言葉をかけられない自分に絶望して、引きこもってしまった一言主。
一方良彦は、この御用の直前に孝太郎から痛いところを突かれて卑屈な捨てゼリフを吐いてしまい、落ち込んでいて。
どうやったらまた元気になれるかな、と思ったのですが、神だけでも人の子だけでもわからなかった答えが…、というよりも、どのような立場にせよ一人(一柱)だけで考えていたらわからなかったことが、ふたりになったらわかる、という仕組みが素敵です。
思い込みから見過ごしていたことに気づいた良彦の言葉が、一言主をひととき、かつての力ある姿にしてくれた場面は頭の中でとても綺麗な映像になりました。。
良彦が最初に一言主のところへ行ったとき、御用について特に質問などもせずいっしょに遊んだところがとても好きです。
シンパシーを抱いてるとはいったものの…私よりかなりいい人な良彦の持つ、見習うべき美点だなと思いました。
それから、一言主が人に対して持っている思いが美しすぎて、そこで泣きました。
人のように面白おかしい個性的な面があっても、やっぱり決定的に違う圧倒的なこの清らかさ。
もったいない、すこしでもこれに報いるようにせねば…と思ってしまいました。
孝太郎と仲違いするシーンはすべてが我がことすぎて「ウッ」となりました。
面白くない事実が見えるばかりなので自分に向き合うのはつらいものです。
だからごまかしごまかしやってるのに、そこを突かれたわけなので、こんな反応もそりゃするだろうと。。
でも自分が悪いとわかってるから怒り切れなくて、またそこからも逃げたくなってしまうんですよね、きっと。
それでも良彦はちゃんとまた孝太郎と向き合うので、えらいな! と思いました。
こんなふうに爽やかでありたいものです。
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龍神の恋
大御霊竜王(おおみたまりゅうおう)のお話。
人の子から寄せられる想いがへることによって、記憶と力を失っている…のが現代の神様たちの共通項みたいです。
欠けている記憶があるから、それをかすめるような出来事に心が波立ってしまう。
ここでも神様は人間みたいです。
それを自覚するからこそ、竜王は自分の想いを閉じ込めてしまって、あのきっかけで揺さぶられたことが不快だったのかもしれません。
恥でもあり、(たぶんそう感じたことも含めて)後悔でもあった記憶。
わけもわからずにモヤモヤして良彦に当たってる(?)気がする竜王だけど、最後にはすごく可愛らしく思えました。
理不尽だけど美しい愛すべき存在。
そういうところは、やっぱり神様っぽいです。
ゆく年くる年
夏に向かう今はなかなか感じが出ないけど、季節は大晦日です。
さみしい子どもと、大年神のお願いのお話。
黄金は人の子を「舞い散る木の葉の一枚」に過ぎないとか、神様は理不尽なものだと言うし、竜王もそういう考えみたいなんですけど、この大年神と一言主はなんとなく、ひとりひとりを気にしてくださっている感じがあります。
一言主は人間への感謝と愛着があり、大年神のほうは、現代でも日本人がおこなう行事の中に身を置いているからでしょうか。
大年神の願い事がなんだったのかわかるとき、こんなふうに気にかける神様もいるんだな、やっぱり…と思って嬉しくなってしまいました。
これまでの話と違って、大年神と良彦はいっしょに過ごす時間もなく2回ちょっと話しただけです。
それでもなんとなく、御用人でもない私にとっては、この1冊に出てきたほかのどの神様よりも身近に感じられた神様でした。
🦊
ところで…今さらですが、この本に出てくる神様はすべて実在する神で、神社もモデルがあるそうです。
この後良彦は日本各地の神社に行くので、近くの神社のことが出てきたら、すぐにわかるかもしれません。
ちなみに私の在所の近くの神社もあとの巻で出てきましたが、すぐにわかりました…かなり大きな神社なので、きっと誰でも分かったでしょうけども。
浅葉なつ『神様の御用人』 KADOKAWA アスキー・メディアワークス メディアワークス文庫
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