鈴の音と、カツ丼と🍚『キッチン』

2018-08-02小説

吉本ばなな・著『キッチン』 福武書店

吉本ばななさんの本をずいぶんたくさん読んできたな、と思う。ほとんどの著作を持っている。

ただ、このような世界観の物語は、自分の精神状態によっては読めない時期がある。だから、ばななさんの本も数年前からの一時期全く読まなくなっていた。

けれど。

この半年ほど、決定的に身体が壊れてしまって休んでいるしかできなかったとき、なんとなくとても読みたくなった。休み休み、一冊ずつ、毎日大切に読んだ。

いまになって気づくこともあったので、メモしたい。

『キッチン』

表題作。

<あらすじ> たったふたりの家族だった祖母を亡くし、大学も休んでただ日々をやり過ごしている桜井みかげ。住んでいる部屋は引っ越さなければならないが、気力がない。そんなある日、祖母のお気に入りだった花屋の青年・雄一が訪ねてきて、「母と相談したんですけど、しばらく家に来ませんか。」と誘う。

1987年の第6回『海燕』新人文学賞受賞作品。なんと31年も前。

私の持っているこの本の奥付を見てみると、1988年6月20日第9刷。初版が1月30日なので、ほんとうにセンセーショナルな作品だったんだろうな、と思う。

よく言われることだけど、

先日、なんと祖母が死んでしまった。びっくりした。

ー『キッチン』9ページから引用

というような語り口が文学として登場するなんて、とても衝撃。

ばななさんの後にはこういうのも珍しくなくなったけど、最初に(と私には思えた)こういう感じで書いて、しかもこんなに評価される作品でもあるというのはやっぱりすごいと思う。

文章の書き方は、私が持ってる中でいちばん新しい本と比べると、すこしすっきりしているのかもしれない。

語らない部分が多いのかもしれない。短いお話だからなのかもしれないけど。

私はなんというか、ひさしぶりにこの本を読んで、ひんやりとして静かで爽やかだなあ、と思っていた。書面なんて、頭の中では文章と文章の間にものすごくスペースがある。

実際に開いたら、別に普通の狭さだったけど。

 

いま読んで感じたのは、誰かをうしなった時の膜に包まれているような倦怠感が、すごくリアルな物語だな、ってこと。

この場合は死だけど、それだけじゃなく、あまりにもだいじなもの・・・というより、あって当たり前だったものとの別れには、こういう感覚がつきものなのだろうか。

あって当たり前だったからこその、なくなったときのあの感じは、なかなか、なれるものじゃないと思う。

それがすごく表現されてる。

みかげは最初、引用した文章みたいな感じで、どこかひとごとのように、おばあちゃんが亡くなったことを捉えている。おばあちゃんがいないんだから、大きすぎるし家賃も高い家を引っ越さなきゃとか、そんなふうに。

わかってるけど、麻痺してるみたいな感じ。

それが解放されるシーンにとても、とても胸が苦しくなる。

あって当たり前のものをぞんざいに扱っていることに腹を立てて、でももう自分が戻れないその輪の中で、次の瞬間には笑いあってる、しあわせそうで可愛いその感じ。

まったくその通りのことを経験したわけじゃないけど、そのかけがえのなさ、取り返しのつかなさとか、丁寧に扱わなくても愛されていることとか、自分はもうそこにははいれないんだとか、そういういろんなことで胸がゾッとする。

そしてみかげはやっとここで実感したのかな、と思う。

このあとがたぶん、このお話を読んだほとんどの人が好きなシーン。私も大好き。

こういう不思議な符号がばななさん独特の魅力だと思う。『キッチン』はデビュー作だけど、このあとの作品にもずっとこんな部分があるから、これがばななさんの世界の見方なのかもしれない。

 

満月 ー キッチン2

『キッチン』の続編。

花屋の青年は同じ大学に通う田辺雄一といって、彼の母・えり子は実は父で、っていう独自の愛情の形がある家庭に居候し、こころが恢復していくのが『キッチン』という話だと思うのだけど、『満月』は冒頭でいきなりえり子さんが殺されて始まる。

えり子さんはとても魅力的な人物なので、読者にとっても大変なショック。読み返して泣いてしまったほどショックだった。

それをずいぶん経ってからしかみかげに言うことができなかった雄一の気持ちは、なんとなく理解できる。みかげは雄一にとって家族というか、身内になっていたんだな、と思った。だったら言わないのはおかしいのかもしれない、ふつうは。でも、私はそう思った。

この話の印象はカツ丼、そのひとことに尽きる。

どよんと重い倦怠感、ここからいっそ逃げてしまいたいという闇と、逃げてしまいたいことの中にあったたしかな幸福、無作為に、だからこそ運命的にもたらされる光の対比がすごい。

諦めているのに、ぐっとやる気を起こさせる素晴らしきカツ丼、その在り方。(ほんと美味しそう。)

どうしようもなく選べないことのつらさや苦しみ、重さ、そしてそれゆえのおかしみが、すごくみっしりと詰まっている。くるしく悲しいけど、爽やかな心地になる。

まわりにいる登場人物たちが、みかげから見てみんなあっさりとして品が良いことも、読んでいて気分がいい理由だと思う。特にダメなところも知っているけど、涙の美しいちかちゃんの単純な明るさ、とてもいい。

でも、(犯人を除いて)ただひとりの嫌なキャラ、雄一の大学のクラスメートも考えさせられる人物だった。

彼女のセリフの中に、ちかちゃんとはちがう嫌な意味での世界観の違いを感じた。

確かにこの子は雄一のことをわかってなくて、もしつきあってもきっと「万年筆くらいしか好きになってくれない」と拗ねて離れていくタイプなんだろう、と想像する。ひとりとひとりでいるべきところまでを踏み越えてくるんだろうな、だからこんなことするんだろうけど、なんて。

でもこういう貪りのこころで暗い執念を燃やす人ってまあ、いるので。そして結果的に当て馬になったので、いいのか。

台所やそこでの作業、そして美味しいものをいっしょに食べるとか、そんな日常のささいなことが曲がり角で発揮する力の凄さ、健やかさを感じる物語だった。

 

えり子さんが半分冗談で書いた遺書の内容が、ちかごろのばななさんのエッセイの中にあった内容と同じでびっくりした。

『夢見るハワイ』という本だから、2012年、つまり24年前にはもう、このことを知っていたんだ、と。エッセイの中ではまるで経験したからわかることのように書いていたけど、そうじゃなかったんだ、と。

だからばななさんの小説世界は、表面的には別なことを書いていても、通奏低音のように、地下の水脈のように、おなじメッセージを感じ取ることができるのかもしれない、と思ったりした。それを感じ取れるのは、ずっと読み続けている余禄かなとうれしくなる。

 

ムーンライト・シャドウ

おそらくこれが、私の終生第一位のばなな作品になると思う。

でも驚くことに、これが一番古い物語なのだった。ばななさんの卒業制作として書かれた話で、1986年の芸術学部長賞受賞、と奥付きにある。

この話の感想を書くのはむずかしい。あまりにも好きすぎて、言葉が出ない。等が鈴をハンカチに包む仕草。これだけで泣けてくる。

これは不思議な出来事をメインに据えた話になっているけど、やっぱり親しい人を亡くした人たちの日々のちいさな祈りのような物語だと思う。主人公と、亡くなった恋人の弟の柊、不思議な女性・うらら。みんな自分なりのやり方で生きていこうとしてもがいている。

そしてここでもやっぱり、食べ物を美味しく食べることの救いが描かれてる。

 

この作品の特に素晴らしいところは、なんといっても最後の部分だと思う。最初に読んだ時から頭に残って忘れられなかった。ばななさんの本を読まないでいた間もずっと、この部分だけはおぼえていた。

かなしくて、そして力強い。ほんとうにいい作品だと思う。

 

 

『キッチン』の雄一と『ムーンライト・シャドウ』の等と柊がすごくカッコよくて変わり者で、読んでいてすごく楽しい気分になることも力強く追記しておきたい。。。言葉遣いが独特で、なんかいい空気感なんですよね。

未読の方は、よかったらぜひ読んでみてください。現在は幻冬社から文庫本で出ています。

ちなみに『ムーンライト・シャドウ』は時々CMなどに使われたりもするマイク・オールドフィールドの名曲で、明るい曲調にかなしい歌詞が印象的です。合わせて聴いてみてください。