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とうらぶイベント

とうらぶ:連隊戦 ~海辺の陣~実休光忠お迎え

刀剣乱舞 実休光忠 子安武人@EXNOA LLC/NITROPLUS

刀剣乱舞、夏の恒例催し物「連戦隊~海辺の陣~」開催中びっくり
「夜光貝」を100,000個集めると、新しい刀剣男士・実休光忠(じっきゅうみつただ)をお迎えできます

野分の代弁者
こんにちは、野分です。

すごく久しぶりに、一目で心奪われるほど好みの男士が登場しました拍手拍手
しかもびっくり しかもですよ、お声は子安武人さん(´>///<`)ハート
お披露目動画の台詞、たまらなかったです。。
絶対欲しい、早く欲しい!!と血眼になりましたが、今となっては特効持ちの男士もみんないてくれますので、さくっとお迎えできました。

連戦隊~海辺の陣~

「連隊戦 ~海辺の陣~」は部隊を駆使し、敵を次々と撃破していく催物です。
敵を撃破して、より多くの「夜光貝」を手に入れましょう!

海辺で水鉄砲部隊を用いたりして戦いつつ、貝を集める夏の恒例。
やることは【催し物】タブから【連戦隊】をクリックしてステージの難易度を選び、いつも通り戦うだけです∩^ω^∩
だけどこれが意外と楽しいびっくり

ときどき入手できる「虹色の夜光貝」という存在が、その気持ちの原因かもです。
7個集めていける合戦場では、一度の戦いでたくさんの夜光貝を入手できます。(弊本丸では平均的に555個)
たまに報酬でもらえる「三倍魚籠」をここで使うことによって、一気に大収穫も狙えます。

そんなに熱心にやってないのですが、サービス開始二週間後くらいからの審神者なので、小判含めて物資は豊富です。通行手形をたまに補充しながら、2日半で実休さんをお迎えできました
もしいたら、「千代金丸」「北谷菜切」「治金丸」はかならず一緒に連れていきましょうびっくり

実休光忠(じっきゅうみつただ)

実休光忠(じっきゅうみつただ)

太刀 銘 光忠(名物:実休光忠)
長さ 2尺3寸(69.7cm)

信長公御物
実休光忠 銘有
長さ弐尺参寸 無代

三好実休所持。表裏樋、切込拾八有。本能寺にて焼る。
秀吉公焼直し被仰付御指(し)に被成。

つるぎの屋「実休光忠」より

※ こちらのページに刀身の写しがありますので、ぜひご覧ください。実休光忠の刃文や銘などを確認できます。

号「実休光忠」

「享保名物帳」焼失之部に掲載されている刀。備中光忠の作。

近江国甲賀郡三雲城主の三雲対馬守定持が所持し、のち愛刀家の三好義賢入道実休が入手。持ち主の名から「実休光忠」と呼ばれる。三好家では「三雲光忠」とも呼ばれていた。

永禄三年に実休が戦死すると、敵将・畠山高政が実休光忠を分捕り、のちに仕えた織田信長に献上したといわれる。

信長の「光忠二十五腰」(数は諸説あり)のひとつ。大業物と噂の一振りだったため、信長が自ら試し斬りをした。その後下賜することもなく、薬研藤四郎と共に最期まで差料としたといわれる。

実休光忠の「姿」

刃文はえの強い烈しい出来で、元来は大房を主体とした丁子乱れ、物打ちは長船物らしくやや寂しい小乱れ出来であったという。

本能寺の変で焼け身となり秀吉の命により焼き直したあとは、「光悦刀譜」に所載する押形のように、腰元から先端まで刃文の調子と焼刃の高低が同じような丁子乱れの出来となった。生ぶ茎、目釘孔のやや上に「光忠」と二字銘がある。

つるぎの屋「実休光忠」より

刀剣乱舞:実休光忠

刀剣乱舞 実休光忠 子安武人

刀帳番号:220番
ーー持ち主の名を冠して、かつては三雲光忠。
それから、三好実休の元を経て実休光忠。
で、その後は本能寺と大坂城で二度も焼けて
……まあ、記憶はだいぶあやしいのだけれど。

フォーマルな正装青年男士がやはり一番「SUKIびっくり」ってなっちゃいますので、実休さんを初めて見たとき、ハートは奪われましたよね(キモ
裏地が派手なフロックコート、袖まくり、そしてキッチリと白のタイ・・・。ああ・・・ああ・・・。

そしてそしてびっくり 声がこやっさんだものおおおおおお(´>///<`)
三木眞一郎さんにめちゃハマったとき、いろいろ買ってた中で、weiβっていうユニット?のライブDVDを買ったんですよね。そこでの子安さんの歌声、弱い歌い方(♪僕の~膝に~すがれぇえ~~…っていう歌でした)がすごくすごく好きで。。
それを思い出させるこのソフトな囁き・・・(´>///<`)

こんなことをつぶやいていたんですけど。
だってこのヘアスタイル、まんま『いつかのこやっさん』でしかないような気がするんですよびっくり

秘密の花園、ぜひともご一緒したいびっくり

子安さんの「僕」は破壊神。
そしてスタマイファンとしては、「記憶はだいぶあやしいのだけれど・・・・・」という台詞の内容と語尾にも撃ち抜かれてしまうのです(´>///<`)<瀬尾さん味

しかし当然ながら、全く違う存在に聞こえる・・・
こやっさん、星星

子安実休さんの登場により、大好きなオリヴィエ様(初代アンジェリーク)がトレンドに上ったのもうれしかったですハート

二度の焼身と刃こぼれ

とうらぶでは「光忠」といえば燭台切なのですが、そんな彼と似た部分も多く持つのが実休さん、という印象です。
まずフォーマルな装いや物腰やわらかな雰囲気の青年の姿(withときめきの黒手袋)・・・といった外見的特徴はもちろん、二人とも焼身となりました。。

ただし、燭台切の来歴が不詳(信長時代の様子がわからない)なのと、実休さんが大坂城落城後に行方知れずになってしまったゆえ(徳川家に献上されたとの説もある)、二人の『時』が重なったことを思わせる逸話がなく、回想がないのが残念です。

回想は、宗三さん(下賜された)との『仇も巡れば多生の縁』、薬研くん(最期まで一緒)との『毒と薬』があります。

実休さんは「享保名物帳」焼失之部に記されているといいますが。。。

いつか光忠(燭台切)みたいに、見つかるといいですよね・・・

【新刀剣男士 太刀「実休光忠(じっきゅうみつただ)」】
備前長船派の事実上の祖といわれている刀工、光忠の作。名は、元主である三好実休が由来。本能寺の変で織田信長が最期に振るい、十八ヶ所の切込みができたとも伝わる。どうやら秘密の趣味があるらしい。

実休光忠の焼身は以下の二度、とうらぶの実休さんの台詞にも「本能寺と大坂城で二度も焼けて」とあります。

其の一:天正十年の本能寺の変にて、明智光秀の軍に最後まで応戦した信長がつけたと思しき十八もの切り込み傷ができ、果ては炎に包まれ焼身。

其の二:豊臣秀吉が焼き直しさせ、「七之箱 下之御太刀」と豊家腰物帳の最後に記載される。大坂城落城の際に焼身?(「享保名物帳」焼失・・之部に所載)

本能寺の前、切っ先には、三好実休が戦で往来左京の脛当てを払ったことによる「刃こぼれ」があったといわれています。実戦刀として愛用されていたからこその特徴でしょう。それで見分けをつけたと聞いて喜んだ信長は、実休光忠を差料にし、その最後の瞬間まで振るったという。。

実休さんは記憶があやふやだとのことですが、戦に出ていた彼は、ずば抜けた活躍をしていたのに違いない、と思います。あの現場主義の信長が、最期の時まで握った刀なのですから。光忠好きで知られ、一説には二十五腰も所有したのに。

刀剣乱舞 実休光忠

まだお迎えして間もないのですが、戦いの場面で気負った様子がないのは、記憶が混濁しているためかもしれないし、かつての染みついた動き(働き)を体が自然に踏襲するからなのかもしれない。。

刃こぼれは焼き直しで直っても、戦いの記憶は習慣として残った、と思えます。

一方、二度の焼身は?
実休さんの体や顔にある痣・痕は、火傷でしょうか、それとも刃文を象っているのでしょうか。。

「秘密の花園」は信長の薬草園のこと?

江戸時代の通俗書(「切支丹宗門朝記」、「南蛮寺興廃記」)の中で、織田信長は宣教師に薬草を栽培するための土地を与えた、といわれています。場所は伊吹山(山頂は滋賀県米原市)、50町歩(約150000坪=東京ドーム10.6個)もの広大な土地に三千種もの薬草が植えられましたが、正確な在所はわかっていません。

富羅天存寄は貧苦病苦の者を救ん為の薬草を持来たり、其種を植る園を願ければ、信長下知して山城江州両国の内にて相応の地を見へしと有ければ、江州伊吹山は薬草相応の土地なり。五拾町四方切ひらき薬草を植けり。蓬この地相応なり。

「切支丹宗門朝記」明和四年西田仁兵衛写本

このように記されているものの、それらしい薬草は残っておらず記録もないそうですが、伊吹山は薬草がよく育つことで知られており、三種の雑草がその説を証明しているのではないか、とされています。それは伊吹山に古くから自生している「キバナノレンリソウ」、「イブキノエンドウ」、「イブキカモジグサ」で、輸入した薬草に紛れて入ってきたといわれています。

刀剣乱舞 信長 薬草園

ユーラシア大陸と北アフリカに分布する。北アメリカに帰化し、牧草に利用されている。日本では伊吹山に自生する帰化植物。1568年(永禄11年)に織田信長の指示によって、ポルトガルの宣教師にヨーロッパからの薬草を持ち込ませ、伊吹山の薬草園に移植した際に紛れて帰化した種と考えられている。

キバナノレンリソウ(黄花の連理草、学名:Lathyrus pratensis)Wikipedia

こんな感じで、3つの草は外国原産であるにも関わらず、伊吹山にのみ古くから自生していることが確認されているため、信長の薬草園は存在したものとして語り継がれています。

この薬草園はどこにあって、どんなふうに、誰に管理されたのでしょうか。
今となっては知る由もありません。
ですから「秘められた園」ともいえる・・・のかな、とこじつけたりして。

薬研くんとの回想で、これに関連している会話が聞けます。
お互いの中に見るもの・・・、なんだか切ないような、ほっこりするような内容でした。

「三雲光忠」の三雲氏とは

さて、三好家での号の由来となった、「備中長船光忠」を愛刀とした三雲対馬守定持とはどんな人でしょうか。

三雲家は歴史を古くまで遡ることのできる由緒正しい家柄で、三雲氏となったのは甲賀郡下甲賀の三雲を領し住処とした1500年ごろだそうです。その後九万石を領有し築城するなど、かなりの権威を誇ったようです。

三雲定持は三雲を名乗ってからの三代目にあたり、単独で明と貿易を行ったというかなりやり手の武将です。あの時代にどうやって個人で?と思いますが、室町幕府にも莫大な寄付をしていたらしく、お目こぼしせざるを得ない有力者だったのかも。(父の行定についてなど、子孫の方の2ch書き込みが興味深かったです)

その財をもって、備中長船光忠を手に入れたのでしょうか

最期は、諸々あって従臣らが離れる中、主家・六角氏と共に織田軍と戦い戦死しました。

「実休光忠」の三好実休とは

三好実休は国史ファンなら知っているような名のある人物みたいです。

清和源氏流信濃源氏の流れをくむ鎌倉時代の小笠原氏の庶流とされる・・・つまり、由緒正しい三好家の戦国武将。父の早逝により、5歳ごろから政治の中心にありました。

仏教っぽい「実休」という名はやはり戒名で、兄・長慶のためにかつての主君・細川持隆(阿波細川)を自害に追いやった直後に出家した(法華宗)という。ただし、「実休」を名乗ったのは持隆の死から5年後のこと。

その後は久米田の戦いで没するまで、阿波を掌握するための暗闘続きの生涯だったそうです。

戦い続け、かなり強い武将という印象ですが、文化的な方面はどうだったのでしょうか。

『昔阿波物語』は、実休を「猛将ではあるが文化とは程遠い人物」として描いている。この文献によって、実休は主の細川持隆を殺した陰湿な武将としての印象が世に伝播した。しかし、実際には武野紹鴎に茶道を学び、妙国寺を創建したりと文化への造詣は深く残した功績も大きい。(中略)堺の有名人の内、最も実休と親しくしていたのは津田宗達(津田宗及の父)であり、他には、今井宗久、北向道陳、千利休などとも交流し、彼らを自室に招いている。

三好実休 – 人物 Wikipedia

これを読んで、ピーンときました。この作者は実休や三好氏を嫌っていたor/andその後の権力者の家来じゃないか、と。それが歴史書の常だから。

『昔阿波物語』は「三好氏の被官」である道智(仁木又五郎義治)が書いたもの、とコトバンクにありました。

一方で仁木氏は、三好長慶会「清和源氏足利系仁木一族の略系譜」には「守護細川家の被官」とあります。

歴史に詳しくないから、ここで「ん?」ってなりました

えーと、まず三好氏が阿波細川氏の被官なので、力関係として、「阿波細川>三好>仁木(道智)」なのかなと思います。

道智は三好氏没落後、長曾我部元親に一族の城を攻め落とされて隠棲、のちに豊臣秀吉により阿波を任された蜂須賀家政に取り立てられて紺屋司となり、城下町の繁栄に貢献した・・・とのことです。

なるほど、ですよね

実際の実休は特に茶道を好み、名物(唐物)を五十種も所持していたそうです。千利休の高弟・山上宗二は『山上宗二記』の中で、武士としては唯一、実休を数寄者として認め、殊に所有する「三日月の壺」(葉茶壷「三日月」)は天下無双の名物と称賛しました。

『東山御物』にも数えられる葉茶壷「三日月」の詳しい伝来は、『山上宗ニ記』に記載があります。曰く、もともとは奈良興福寺西福院所蔵。その後、商人・日向屋道徳から下京の「袋屋」を経て、三好実休の元へ。その後はいろいろ諸説あって、最後に降伏の証として信長に献上されたそうです。六つに割れたのに三千貫の質草になるとか、すごい逸話の名物です。(一貫=12万円とすると、3億6千万円です)

そんな三日月の壺、見てみたかったんですけど・・・

この壺は他の実休所有の多くの茶器と共に織田信長の手に渡り、本能寺の変で焼失した。

三好実休 – 人物 Wikipedia

だそうな∩^ω^∩

実休は、武芸に長ける一方で、文化的な素養に溢れた人物だったのでしょう。そんな彼が終生駆けた戦場で、常に佩刀していた「三雲光忠」はどれほど素晴らしい刀だったのでしょうか。。

ちなみに・・・、「三雲光忠」を入手した経緯はよくわからないようです。

ただ、委細は不明でも、時の人・三雲定持の愛刀である長船光忠は大業物として知られていましたし、愛刀家で目利きの実休がそれに目をつけ、好機を得て手に入れたという流れは、すごく自然ではありますよね。

被官鎌倉時代ごろから、一定の独立性を持った主従君臣関係未満の半従属化された者のことを指す。室町時代には独立した領主であり荘官の地位などを持つことが多く、純粋な家臣とは異なる。戦国時代~近世以降にかけて、独立性を保つことは次第に難しくなっていった。

実休光忠 まとめ

刀剣乱舞 実休光忠 子安武人@EXNOA LLC/NITROPLUS

何よりも見た目が大好き、声を聞いてさらに大大大好きになってしまった実休光忠さん。
所在不明な分、謎に包まれておりますが、調べるほどにかつての持ち主やその周囲の人々に興味がわいて、いろいろと読みたい本が出てきましたびっくり

困る~~~(笑顔で検索しながら)

宗三さんとの回想も意外にもほのぼの路線でしたし、他の光忠たちとの会話も聞いてみたいです。
もしかしたら、信長二十五腰の中で、会ったことがある刀もいるのかもしれない・・・なんて想像すると、刀たちの生きてきた道がよりキラキラと輝いて感じられて、もっといろいろ知りたいな~って欲が出てきます。

生きる力をありがとう

 夏には「刀剣乱舞絢爛図録 四」も発売される予定。楽しみ

 

参考サイト様

 刀剣乱舞ON LINE(とうらぶ)wiki*
 日本刀買取専門店つるぎの屋 実休光忠
 山と渓谷オンライン 伊吹山(お花畑の昆虫図鑑)
 Wikipedia「キバナノレンリソウ
 早稲田大学図書館古典籍データベース「切支丹宗門来朝実記13
 『宗教研究』デジタルアーカイヴ 139号
 戦国武将の家紋 三雲氏
 Wikipedia「三雲定持
 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ : 三雲実乃の婿
 三好長慶会「清和源氏足利系仁木一族の略系譜」.pdf(24p)
 ニコニコ大百科「仁木義治
 Wikipedia「被官
 Wikipedia「三好氏
 Wikipedia「三好実休
 戦国日本の津々浦々「葉茶壷『三日月』
 ほのぼの日本史「一貫はいくら?
 阿波学会研究紀要「三好長治の自刃」徳島県立図書館
 コトバンク「昔阿波物語
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